とーかいりんのバンコク日記
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被災地視察
僕は宮城県石巻市出身。小学校卒業までは向陽町というところにおりその後東松島市
に引っ越しました。どちらも先の震災で大被害を受けたところです。今回2年ぶりの
帰国で被災地域はどうなっているのか見たくなり、地元の友人T君に案内してもらって
女川町に行ってみました。
石巻バイパス。この辺も水浸しになりました。
石巻大橋。
橋から右方向(北上川河口側)を望む。中央左のUFOみたいなのは石ノ森章太郎漫画館。
津波来襲時T君は川を挟んで向かいのビルの3階に居たそうです。
「こりゃ津波来んでねーがど思っでさぁ。バイクしまって事務所に戻ったんだでば。
したっげやっぱり来てさぁ。すげがったっすよ?漫画館なんかアゴの辺り(下半分)まで
水さ浸かって内海橋の上さいた車みな持っでがいでだもの」
「津波ってねぇ、やっかいなんすよ。戦争だっだらまず宣戦布告ってすんじゃないすか。
でも津波の場合いきなり来っからねぇ。もうちょっと待っでけろどが話し出来ねぇし
さ~。ほんで爆撃喰らったみで~にみなめちゃめちゃになっからねーww」
辛いことがあってもいつも冗談を言って笑い飛ばしてくれるT君。被災者が千人いれば千の
エピソードがあるとも言ってました。実際聞くに堪えない話しもいろいろありましたがここ
では割愛します。
ちなみにこちらうちの父が4月4日に日和山から撮った写真。漫画館流されなくて良かった。
プレナミヤギ(昔のジョイフル)石巻で唯一?のアイススケート場。僕が子供の頃はここか
立町のエンドーチェーンに遊びに連れて行ってもらうのが楽しみでした。(ちなみにラップ
ラオのBigCにアイススケート場がありますがここがいい感じに寂れてて昭和の雰囲気満点。
僕のタイでのお気に入りポイントの一つです)
牧山トンネル。震災時両側の出入り口が塞がれてしまい中を走っていた人達は立ち往生。
たまたまコンビニへの配送中のトラックが一緒に閉じ込められており、食料品が積んで
あったので助かったのだとか。
女川到着。
下まで結構高さがあるのですがここのガードレールもベニョベニョに曲がってます。
T君が震災後間もなくここに来たときは向こうの山腹の緑のフェンスの上に車が引っかかって
いたそうです。
以前は住宅地だったと言われてもまったく想像付きません・・
かなり奥の方まで行ったんですね。
鉄筋3階建ての建物が倒れています。
基礎が折れてしまっています。津波の破壊力って・・・
これは震災遺構として残す計画があるのだとか。
この辺も住宅地だったそうです。
女川の仮設住宅はかなりゴージャス。使い終わったら取り壊すんでしょうか?なんか
勿体無いなぁ。
今回被災地を回って思ったのはあちこちに自販機があること。こんな人気の無い所にお金が
入っている機械が置いてあるなんて日本くらいのもんですね。
T君談:
「津波来てしばらくしたっけ治安悪くなったんすよ。自警団とかが見廻りするようになった
んだ。でもその前もねぇやっぱ悪い奴いるんだな。列に横入りとかしてさぁ。そうすっと
並んでる人達皆怒ってさぁ。『おめー何横入りしてんのやー!ちゃんと並べー!!』とか
言って怒鳴らいでましたよ。ああいうの見っとやっぱ日本人なんだなーって思いますね」
「壊れた家とかに入っていろいろ持ってく人達いたみたいすね。なんか日本語でない言葉話
してた人達結構いたって聞きましたよ。どこの国の人達かはあれですけどね。まぁ日本人
でもやってる奴らいだべがらね。どこにでも悪いことする奴いるんだな。お天道様見てん
のにねぇww」
港?
これも仮設住宅です。こちらのは如何にも仮設といった造り。先ほどのとは全然違うのは
なぜなんでしょうね。
魚町周辺。鯨大和煮巨大缶詰が倒れていた辺りです。
日和大橋。
この橋を渡ると南浜町です。石巻市内でも特に被害の大きかった地域。この辺りですが
いろいろ出るそうです。それがあまりにも多いので日和大橋が夜間通行止めになったとか。
これは2011年12月に撮ったこの辺りにあった廃車置き場。警備員の人がいましたがこんな
所で夜勤は怖かっただろうな~。
ちなみに僕には霊感が無いのか撮った写真にはそういったモノは何一つ写ったことはありません。
これも上と同じ時に撮った南浜町です。
こちらは今回撮った写真。松の木とオレンジ色の家が同じまま残ってました。取り壊さない
のは何か理由があるんでしょうか。
2011年12月に撮ったみづほ第二幼稚園。
偶然にも父が撮った写真にも写っていました。
以下、父が2011年4月4日に撮った写真です。
東松島市大曲地区。
野蒜方面に行く途中のどこか。
同上。
東名駅そばの捲れ上がった線路。
今回震災地を回って見て実感したのは津波の威力と、21世紀になっても津波などの自然災害
は変わらずやってくるのだなということ。「天災は忘れた頃にやって来る」とはよく聞く
言葉ですが津波は正にその通りだと思います。宮城県は地震が多いです。震度3~4クラスは
日常茶飯事。建物の耐震性が上がっていることもありついつい地震慣れしてしまいます。
「今日のは割と大きかったな・・」程度に思うだけで津波が来るなんて考えもしなくなって
しまうもの。災害への備えは怠ってはいけないのですね。僕はあの震災以降パタヤでもどこ
でも海に遊びに行くと、もし津波が来たらあの辺は危ないだろうな。逃げるとしたらあっち
の高台が良さそうだと常に逃げ道を探す癖が付いてしまいました。
被災地跡に新築の家がぽつぽつ建っていたことも驚きでした。海っぷちではないものの
ちょっと大きな津波が来たらまたアウトなんじゃないの?といったところにも建ってます。
でも気持ちは分からないでもありません。生まれ育った地元であり子供の頃からその移り
変わりを目の当たりにしてきた街には愛着があるものです。僕も今回一時帰国して自分が
石巻を好きなんだということを再認識しましたし。石巻は漁業が盛んないわゆる漁師町
です。そこに生業を持つ人達にとっては津波というリスクも含めて海に対する覚悟が違う
んだろうとも思います。
三陸地方は明治29年、昭和8年の大津波。昭和35年のチリ地震津波と大きな津波を何度も
受けています。最近以下の本を読みました。壊滅的な被害を受けながらも街の復興を
目指し、巨大防潮堤の建設や学校の授業に津波教育を取り入れる自治体など人々の津波
との闘いの歴史が書かれていてとても興味深い内容でした。
この場を借りてあらためて震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
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[2014/01/21 18:58]
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